医療における物語と対話(日本社会における物語と対話)

日本医療界で10年ほど前からこのような概念が話されているのですね。
Narrative Based Medicine
Evidence Based Medicine
参考ホームページ
○ http://www.c-mei.jp/BackNum/015r.htm
○ http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2000dir/n2409dir/n2409_01.htm
もうすでにご存知の方もおいでだと思いますが、俺は最近こんなことに感激してしまったのですよね。
もし 時間がありましたら 一読されてはいかがでしょう
Evidence Based Medicineの中からNarrative Based Medicineが 湧いて出てきたことが大切なんですよね。
Evidenceでも成立しないことを認め、Narrativeで空想の世界に迷い込んでもいけない 道は 険しいですね。

「医療における物語と対話」で河合隼雄氏と対談されている 斉藤清二氏が「N:ナラティヴとケア」第一号 という書籍でこのようなことを述べられています。 (抜粋します)第二号、第三号と現在発刊されています。

 「私がNBMを実践、研究、教育していくためにはどうすればよいのか」が分からないのである。この問題は極めてパラドキシカルである。もしKuhnが言うように、「ある一つの分野が科学と呼ばれるためには、それがパラダイムを持つということが最も分かりやすい条件である」ということが正しいとすれば、「これを読めばNBMの概念、理論、方法論、道具が分かる」という範例となる論文、あるいは書籍が提示され、ある一定以上の専門家集団に共有されない限り、NBMは新しい科学パラダイム足り得ないということになる。しかし、このような見本例足りうる書籍、論文がもし公表され、NBMが「通常科学」の一つとなったとしたら、それはNBMと言えるのだろうか。NBMが担保する医療、医学の多様性、多元性とパラダイム論とは両立するのだろうか。これは十分に検討されなければならない問題であると思われる。
 上記の問題についての現時点での解答の一つの候補は、以下のようなものではないかと筆者は考えている。それは、Kuhnの提唱するパラダイム(より正確には専門母型)自体を一つの物語と考えるのである。(見本例としての)パラダイムそれ自体は、「概念、理論、方法論、道具のワンセット」という、一貫性のある構造を持った明示的なテクストとして物語的に表現されなければならない。唯一の正しいパラダイムが存在するということではなく、複数のパラダイムは併存しうるということを意味する。物語は書き変えられ、変容するという性質を持つので、パラダイム・シフトとは、物語が非連続的に変容するプロセスを描写していると考えることが可能である。
また物語りはテクストとしての明示的な側面とともに、必ずコンテクストとしての非明示的(暗黙知的)な側面をもっている。物語は必ず、テクスト・イン・コンテクストの構造を持っており、パラダイムが明示的な範例であると同時に、その分野での実践や研究そのものを背後から支え、意味づけ、支配する暗黙知的な働きをもつということも、物語の持つ構造から説明することができる。
 もしもパラダイムを一つの物語と考えること(すなわち、物語論の視点からパラダイムを再定義すること)が許されるならば、NBMが新しい科学パラダイムとしての役割を果たすために必要なことは、その専門家集団(それは必ずしも医療者全体せある必要はなく、目的によってより細分化された集団でも構わない)によって共有され、その実践、研究、教育の指針として機能するような、「質の高い物語」を生成し、公表するということになるのではないだろうか。そして、その物語(あるいは複数の物語の束)はNBMの概念、理論、方法論、具体的な道具が、明らかにされるような、明示的な側面(それは必然的に暗黙知的な側面を伴っているのであるが)を有していなければならないということになるだろう。
以上
 この文章を読んで 斉藤清二氏はジェントルマンだと俺は感じました。
真摯です。
  「質の高い物語」 難題です。

追伸、同じ「N:ナラティヴとケア」一号で私が興味を引いた箇所の中から二つ紹介します。
まず一つ目は“ナラティブホーム構想とその実践”と題して佐藤伸彦氏がナラティブという考え方に出会う大きなきっかけとなったお話である。(抜粋)
 東京近郊の国際空港近くの病院で働いていたときの話である。私は救急医療をしていた。ある日、髄膜炎とその合併症で重症の30歳代のフライトアテンダントが救急搬送された。ご主人は大学で研究生活を送る医師であった。主治医として集中治療を行い命だけは助かった。しかし耳が聞こえにくく歩行困難で車椅子の生活等の後遺症が残り、元の仕事に復帰できるわけもなかった。退院の決まった日、私は当然「ありがとうございました」という本人の言葉を聴けるものだと高をくくっていた。しかし彼女の口からこぼれ出た言葉はたどたどしいが心のそこから響くような、
「あ・ん・ま・り」
だった。
 その数ヵ月後警察からの電話で、彼女が、彼をマンションの自室でネクタイを使って首を絞めて殺害し、自分は飛び降りて自殺をしたとの連絡があった。ネクタイで首を絞めるだけの力が彼女にあったかどうかというといあわせであった。
 その時ある先生が決して悪意を持った言い方ではなかったが、「先生は一人の人を助けたけれど、結局最後には二人の人が亡くなったことになるね」とつぶやいた。
 私が助けた命とは何だったのか。これが私にはとても重くのしかかった。
彼女が最後に言った「あ・ん・ま・り」という言葉の重さをひしひしと感じるとともに、何ともいえない人間の生臭さを感じて不快であった。それからの私には、いつも「いのち」と「死」という問題意識があり、科学と人間臭さをどう折り合いをつけていけば良いのか、高齢者医療の現場の実践の中で考え続けてきた。そして今、この人間の生臭さを私は「ナラティブ」という視点から医療の実践に織り込もうと考えている。
 医療現場では、いわゆる「医療的」「科学的」客観事実だけが問題なのではない。それよりも患者さんやご家族に「言葉」を使って「伝える」「語る」、同時に患者さんや家族の話を「聴く」ということがとても重要な側面となる。
どのような科学的な事実があっても、言葉として伝えられなければ意味がない。事実は事実としてそこにあるのではなく、言葉として「語られ」て事実となる。そうした「語る」ということから一つの「物語り」が生まれる。人から人へと綿々と語り継がれた神話のように、病気という出来事を通して患者さんの人生やご家族の人生などのいろいろな「物語り」は繰り広げられる場、それが医療である。
 医学(近代科学)は、普遍性・論理性・客観性をその基本原理として発展してきた。しかし私たちはそんな基本原理に照らし合わせれ日々生きてはいない。ちょっとぐらい辻褄が合わなくても、「そうだよね、そういうことってあるよね」「そうそう、ありがちだよね」と納得することがある。これを物語的理解と呼ぶことにする。
 この感覚は、実はとても大事である。
 今の医療やケアの世界で、一番欠けているのはこのような物語的理解なのだと思う。
 医療関係者はおうおうにして、家族も合理的・論理的に考えるはずだという思い込みがある。ところが医者にとって理にかなっていることが患者や家族にとっても理にかなっているとは限らない。家族の理解力が悪いといった問題ではなく、病気である本人とその家族、という当事者であることと、それをできるだけ冷静にみる第三者の医療関係者との間には埋まらない溝がある。そしてその溝の存在を理解するのが物理的理解である。

二つ目は「村上春樹1Q84』の会話分析」やまだようこ(京都大学大学院教育学研究科) この方に記述からの抜粋です。
 5.物語的自己
 村上春樹の小説は、物語的自己(narrative selves)を考える上でも示唆的である。固くカチンとした確かなモノとして自己があり、まったく別のモノとして他者があるという考えそのものが、疑われているからである。バフチンドストエフスキーが生きた時代には、「自己」と「他者」という概念は、まだ頼もしい実体のようにみえた。しかし、今や、それらの概念はもちろん。「本当の自分」とか「アイデンティ」という概念も疑わしいものになった。自己は、単一の実体、これ以上分割できない最小単位としての個人(individual)であるという概念も疑わしくなった。自己は、物語として組織化されているもの、つまり物語的自己(narrative selves)としてとらえられる。自己は、変化しにくい人格(パーソナリティ)や性格によって特徴づけられるのではなく、物語として編集されたものである。それなら、語り直しによって自己物語を変えていくことが容易になり、複数の異なった自己物語が同時に存在することも許容される。