私の にわか勉強から 憲法を考えると

 大日本帝国憲法が成立する経緯などを知ろうと、数冊の本を読んだのですが、
憲法を編纂するに当たり、伊藤博文たち調査団はヨーロッパにて憲法調査を行うのですが、思わしい成果も上がらないなか、焦燥感だけが募っていったようです。そのような状況下 藁をも摑む気持ちでウィーンを訪れ、当時 ウィーン大学の看板教授で著名な国家学者・社会学者であったローレンツ・フォン・シュタインの講義を聴き。「法は民族精神・国民精神の発露」と捉える学派に連なるシュタインの講義から 伊藤は「そうか、憲法はまず日本の歴史や伝統に基づいて作ればいいのか」と確信を抱くに至り、この精神を基に大日本帝国憲法を作ったようです。
 この大日本帝国憲法は内外から高評価を得たようで、国内的には 自由民権運動家からも異議をとなえる動きはなかったようですし、もちろん「統帥権」が天皇の大権のひとっで 大日本帝国憲法第11条 「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と記したこと、 政府(内閣や議会)の管轄から独立させたことも問題にならなかったのです。それよりも当時は政治家に軍事力を握らしたら、何に使うか分からないという不安の方が大きかったようです。 面白いですね。 現在はシビリアンコントロール文民統制)、文民の政治家が軍を統制する方が安全だと考えられてる。伊藤ら当時の人たちは軍事力の本質と戦争に勝利する肝をよく承知されていたように感じられます。
 軍事力と政治の関係を表す一つにシビリアンコントロールというものがありますが、日本では「文民統制」と訳されてます。イギリスではシビリアンコントロールではなく “civilian supremacy”「文民優位」とされているものですが、なぜか イギリスの方が機能的な感じがします。
 私が思うに、明治、大正、昭和と軍の力が肥大していく中、この軍と政治の関係が何とか「文民優位」で行えた事例が、大正7年に総理大臣の就任された 原敬内閣の時ではないかと思うのです。原総理は 軍のシベリアからの完全撤兵を決定し、実現された方です。 ただ 大正10年11月4日に東京駅丸の内南口で右翼青年の襲撃により刺殺されます。当時はこのような暗殺におもむく連中がいる世情だったんだという事ですね。
 そう 話を憲法に戻しまして、 いろいろ調べていると ある人物に興味を惹かれたので紹介します。 その人は昭和20年ごろ日本を代表する憲法学者であられた佐々木惣一博士です。 私が興味を引いたのは、昭和13年第73議会に提出あれ、制定された法律「国家総動員法」について『議会の審議を経た法律ではなく「勅令」によって、国民の自由を制限することを問題視する』と言われたのです。当時 軍部からの圧力に敢然と抵抗された方です。その佐々木惣一 氏が 
 昭和21年10月5日 マッカーサーの命令により上程された帝国憲法改正案に対して、貴族院でそれを「不可」とする反対演説をされたのです。当時の占領政策の厳しかった、マッカーサー監視下の貴族院でのこのような演説は真に勇気のいることだと思います。 演説の一部を下記に記します。(著書:明治憲法の真実より)
 「私は帝国憲法改正案反対の意見を有するものであります。この意見を、わが貴族院の壇上において述べますことは、私にとって実に言いがたき苦痛であります。今日帝憲法を改正することを考えることそのことは、私も政府と全く同じ考えでありまが、ただ今回提案の如くに改正することは、私の賛成せざるところであります。冒頭、私が帝国憲法改正案に対しまして、賛否を決するに当って、いかなる点に標準をおくかということについて一言いたします」
「帝国憲法はみなさんご存じのとおりに、明治天皇が長年月にわたり、わが国の歴史に徴し、外国の制度の理論と実際とを調査せしめ給い、その結果につきご裁定になったものであります。その根本は、政治を民意と合致して行い、また国民の自由を尊重して政治を行うという原理に立っているのであります。加うるに、明治天皇憲法制定の事務をお考えになったのみでなく、ご一個として、明治維新以来つとに民意政治を原理とするの必要を思わせられまして、そうしてそのご教養のために、あるいはわが国に学者を招いて外国の書を講ぜしめ給い、あるいは侍臣をイギリスに派遣せられまして、その制度を研究せしめ給うたのであります。(中略) かくのごとく上に聖天子あり、下に愛国先覚の国民あり、また事務的に精励の当局あり、かくのごとく上下一致して長年月の努力の結果、ようやくにして成立しましたところの帝国憲法が、その発布以来今日にいたるまで幾十年、これがいかに大いにわが国の国家の発展、わが社会の進歩に役立ったかは、ここに喋々するまでもありません。その憲法がいま一朝にして勿々の間に消滅の命にさらされているのであります。実に感慨無量であるのであります」

博士の演説が終わると、議場には嵐のような拍手が巻き起こったとあります。
博士はこの演説の1年前に 昭和天皇から「憲法改正の必要があるか否か、あるとすればその範囲はいかなるものか」というご下問を受け、その考査する役に任じられ、その考査の報告を説明する 陛下への御進講をされてます。 その時の様子は陛下は終始熱心に佐々木博士の進講に耳を傾けらてていたようで 博士は「なんという有り難さ」と思われたようです。
また、博士は “天皇の戦争責任” にも言及されたます。「敗戦前後の佐々木惣一・近衛文麿との関係を中心に」のP134最後から5行目からの内容でわかります。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/134785/1/98_117.pdf

この論文 全文読まれるのも面白いですよ。 終戦少し前に、高松宮が博士にいろいろ憲法の解釈について問われて、その中で「天皇が総理大臣を罷免できるのか」と問われ、博士は「できる」と答えられたそうです。 それから間もなく東条さんが罷免されたそうです。 といったことも書かれたますので、お読みになると面白いと私は思います。 

では、博士は これほど大日本帝国憲法を大切にされたのか、 
私のような、憲法を読んだこともない者に論じる知識も能力もないのですが、 ここで 頑張って、 現憲法である。日本国憲法の前文を読むことにします。
前 文
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」。

私の感想は、自ら言っているのではなく 言わされてる感があり 何かに縛られてる感もあります また 新たに何かに向かうという躍動感を感じないのです。
では、 明治天皇五箇条の御誓文を起点としてして編纂が始まったと思われる大日本帝国憲法。 これには前文はありませんが、 あえて私が考える前文はこの五箇条の御誓文ではないかと思うのです。そこで最後に 五箇条の御誓文を紹介します。

一 、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一 、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一 、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一、 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一 、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

(現代表記)
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
  (広く人材を求めて会議を開き、すべて公正な意見によって決定しよう。)
一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
  (身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えよう。)
一、官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
  (文官や武官はいうまでもなく、一般の国民もそれぞれ自分の職責を果たし、人々に希望を失わせないことが肝要である。)
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
  (これまでのようなかたくなな習慣を打破し、何事も普遍的な道理に基づいて行動しよう。)
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
  (知識を世界に求めて、天皇を中心とする伝統を大切にして、大いに国を発展させよう。)

なぜか これが前文なら 私は後に続く1章から11章を読んでみようかという気になります。
憲法改正の是非の前に 憲法とは何かを学ぶことが大切なような気がしました。
憲法とは何かを知らずして憲法の話をしたら 付け焼刃のようなものしかできないような気がします。

私は決して神学的論の信奉者ではありません。