「おぼこい」思い。

  私は60生きて“naive”な人間である。「おぼこい」からこのような書き込みをするんだろうが、
「戦争法案」とレッテルを張って、言霊で思考を停止さす仕法は、議会人が使う言葉というよりも、 独裁者が好んで使うフレーズのように感じてしまいます。
 世界は司馬光の記した「資治通鑑」のような生臭いものなのである、このような世界と対峙できる体制の一つとして「安保関連法案」を審議していただきたい。
 また、
 私は靖国神社に個人的に参拝されることになんの違和感もかんじないが、政権担当者の一員が参拝されることには「個人的」と言われても 違和感を感じるのです。
 たぶん 私の中で“靖国神社”とは 他の寺社仏閣と異なり 為政者が安易に防人の生命を尊いものと扱っているように装う装置のようにしか思えないことと、
 防人が生命、倫理観の極限で戦う場においても、冷静な作戦行動より、“神風”的な行動をとる要素にならないか心配しているからでしょう

 私は自衛権を発動するに「閣議決定」じゃないと時を逸することがあると考えてます。しかし「閣議決定」される構成員が、靖国神社などのような感情を高揚されるようなものに対しての嗜好をお持ちの方がおられるということに、一抹の不安を覚えるのです。
 太平洋戦争の経験を活かして 防人の生命と財産と精神を守れる“安全保障関連法”を構築していただきたく思っています。

千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています” と 口ずさむ 私がいます。